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『100分 de 萩尾望都』 感想 「イグアナの娘」

 「イグアナの娘」 萩尾望都 感想
人間の青島ゆりこは、娘りかの姿がイグアナに見えるお母さん。
次女は、かわいい人間の姿に見える。
りか(イグアナ)は、自分自身の姿もイグアナに見える。
娘のりかがイグアナに見える青島ゆりこママは、リカを嫌がってしまう。

ママは、私が嫌いなんだ。
ありのままの自分をなぜ愛してもらえないのか?

母親が死んだ時に母親の顔を見ると母親もイグアナだった。
自分とそっくりなイグアナの母親。
その姿を見てから、りかは母親を許せるようになった。
 

「イグアナの娘」の最後のセリフ 「どこかに母の涙が凝っている」

「凝る(こごる)」 こごっている。

「凝る(こごる)」という余り使わないような言葉を使っているのは、
なにやら透明なように見えるのにどこか濁って固まっているものが残っているのかも?

 

もしかしたら、どこかにまだ見えない何やらのことがあるのかもしれない。
今ひととき、葛藤が落ち着いたように見えているだけなのかもしれない。。
小さくなって見えなくなっているだけなのかもしれない。

 

リカちゃんの子供は男の子女の子どっちだったかな?はっきり娘って書いてあったっけ?
娘ならもしかしたら、もう少し大きくなったら、子ども側からの何かがあるかもしれない。
それは今はわからない。わからないままでもいいのです。

物語としては、これでリカちゃんは、ママに対するモヤモヤした気持ちを洗い流して
自分がママとして人間として一つ前に進めることになる。
ママのようなことを自分の子供にはしないで生きていける。
子供を素直に愛せるママになれるだろう。

読んでる側は、これでほっと安心して読み終えるようになっているのです。

パパとママと子供、人間3人の後ろ姿として終わることで安堵して物語を読み終えられます。

 


今回、萩尾さんの『100分 de 萩尾望都』インタビューを聞いて思ったのですが、
萩尾さん本人が言ったラストページにいる小さいトカゲのことについてです。
「小さいトカゲ、あれはお母さんです。」と断定したということは、
「イグアナの娘」のお母さんは、ずっと救われないでトカゲのままなんですよね。

 

萩尾さんのインタビューでは、涙が流れて変わったのはリカちゃんだけであって、
リカちゃんのママは浄化できないまま、りかちゃん自身がママのことを思ってるだけのことで、
結局のところ、子どもを嫌ったままで亡くなったママ本人は、
「だって、イグアナに見えるから嫌」という単純な理由はあるけれど、
それ以上の何が理由で嫌いなのかも本人は解決しないままで、
ママがイグアナのままの姿で亡くなってしまった。


最後にりかちゃんには、

ママがイグアナ姫で人間にしてもらったからという夢がでてきますが、
ママ側からしたら、ずっと「私の幸せを壊すのがイグアナのりかちゃんなのよ」と、
最後まで「イグアナだとばれたら私が愛されないじゃない」というだけではなかったのか?
りかちゃんのママに大切なのは、自分(りかちゃんのママ)のまま。

 

自分(リカちゃんのママ)にだけ見えるのはイグアナの姿だけど、
人間の姿は綺麗なりかちゃんということをなぜかそう思いたくない、
周囲も可愛いというりかちゃんを姿をなぜか無視してるままなのです。
イグアナだとしても愛されているりかちゃんのことは、
人間の姿で綺麗で愛されているのにもかかわらず認めてもらえてない。

リカちゃん本人が自分は納得した救われたとなるラストだから、それで安心しますが、
たしかにりかちゃんママの本人の解決はできてないように思えます。

 

萩尾さん自身は「イグアナの娘」を描く時には、
自分の母親へのモヤモヤを作品として半分は昇華出来たのかな?と思うのです。

ただ、それは、お母さんの言動を解ったとか、
理由があってその理由を全部理解したからとか、
許したとか、そういうことではなくて、
もう、萩尾さんは、お母さんを突き放したというかぁ。。

お母さんは、お母さんでトカゲのままで生きていていいよ。
あなたは、そういう生き方しかできないんだよね。
みたいな思いだったのではないかなぁ・・と思ったのです。

萩尾さんのお母さんだって
「イグアナの娘」を読んで「涙を流した」という感想を言ってくれた。
漫画作品として感動はしてくれても、
その後には「漫画はやめなさい」と言うようなお母さん。

お母さんの「イグアナの娘」を読んで流した涙の気持ちが、
どういうお母さんの感情だったのかは、よくわからないけど、
お母さんからしたら、「自分が可哀そうだったのよ。」という涙のほうだったのではないのかなあ・・。
お母さんは、お母さんで「変な子で私は苦労したんだ。」「子育て大変だったんだ。」
みたいな感情がきっとずっと強いのだろうし、
娘(萩尾さん)への懺悔の気持ちで「私が悪かったよ、ごめんね。」の後悔の涙だったら、
娘にもう「漫画やめなさい」とは言わないと思うのです。。

 

それにしても、40歳過ぎて漫画家として大成してる超有名漫画家の萩尾望都に対して、
母親は「漫画やめなさい」とまだ言うのか…。
その頑固さも凄いものですねえ。

 

80代90代の高齢者に対して子育ての仕方とか貴方の考え方を変えなさいなんて言っても
変われるような心の柔軟さがもうないだろうし。
自分の考えだけが正しいのだという考えでいる人間を変えることなんて無理でしょ。
もうガチゴチ自分だけの高齢者になってるだろうし。。

たまに、新しいことに何でもチャレンジするような、心が柔軟な80代90代高齢者もいますが
多くの高齢者は、子供の言うことなんて聞かないで、
自分の考えだけが一番になるので、老人同居は大変ですもの。。

 

「イグアナの娘」を描いた当時の40代の萩尾さんは、
もう年齢的に若い娘さんから本格的に中年になってきて、
自分が変わる、自分が変わるしかない。の域にだんだんなってきた頃なのではないかな?

お母さんに解ってもらうとかお母さんに私(萩尾さん)を理解してもらうというよりも、
あちらはもうあれで仕方ないのだろうとか、母親の考えはもうずっとそのままなんだとか、
歩み寄らなくて別にいい、それぞれでいいでしょうとか、
そういう思いが強くなってきたのではないかなぁ?と思いました。

 

ただ、母親から100%嫌われているだけというわけではなく、
合わなかったのは一分のこと、どこかの部分では他の姉妹と同じだったりすると
全否定ではなくて、少しは愛されていると思う部分もあったのでしょう。

リカちゃんのママも愛したいと思っても愛せなかっただけ。
だから、「母の涙が凝っている」と「涙」を使ったのかなあ、と思います。

 

萩尾さんのお母さんは「イグアナの娘」を読んでもなお
「漫画やめなさい」と言うお母さんだったのですから。
お母さんは、もうそのままそこにいればいいよ。
という思いだったならば、それで正解だったのではないかなぁ・・と思ってしまいました。

 


『100分 de 萩尾望都』 母親との葛藤 「漫画 やめなさい」
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/05/203427


『100分 de 萩尾望都』失敗したりダメだったりする子に、心があると思っていないんですよ。
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/05/182732


『100分 de 萩尾望都』SF少女漫画「ここではないどこか」を描く
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/05/171444


『100分 de 萩尾望都』「残酷な神が支配する」萩尾望都の父親の描かれ方
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/04/230623



 

 

『100分 de 萩尾望都』 NHK Eテレ 感想1
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/03/222523

『100分 de 萩尾望都』 NHK Eテレ 感想2
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/04/173451

『100分 de 萩尾望都』 NHK Eテレ 感想3
https://www.jmangasuki.com/entry/2021/01/09/165429